私の英語歴 1 英語との出会い

こんにちはMaikoです。

これから数回にわたって、
私の英語歴について
お話していきたいと思います。

「英語との出会い~英語講師の現在まで」

  • 英語との出会い
  • 英語嫌いになる
  • アメリカ留学
  • CAになる
  • 帰国
  • 英語講師になる
  • TOEIC満点、英検1級取得


このような出来事が
含まれています。

過去を振り返る理由は

「誰でも英語が出来るようになる可能性がある」

ということを伝えたかったから。

私は小さい頃から英語が
得意だったわけではありません。

こんなふうに考えたことはありませんか?

「英語は特別な人だけが
出来るようになるもの」

少なくとも私はそんなふうに感じて
拗ねていたことがあります。

でも、今ではそれは違うと
断言できます。

やると決めて行動し、
継続すれば
出来るようになる。

特別でキラキしたした人だけの
ものではないのです。

私の経験が少しでも
誰かに勇気や希望を与えられたら
うれしく思います☆

英語との出会い with 涙

私の父は北海道出身。
母は佐賀県出身。

私は佐賀県生まれ。
東京と千葉で育ちました。

母は海外映画や洋楽が好きで、
海外への憧れが強かったようです。

英語と私の「はじめまして」は
幼稚園の時。

かすかな記憶ですが、、、

母が英語学習用の音声を
家で流し始めました。

私に英語を学ばせたいと
思っていたらしいです。

音声の内容は覚えていませんが
ものすごく嫌だったことは
今でも鮮明に覚えています。

強い「嫌」という感情。

そして、

いやーーーー!

英語が聞こえてくるたびに
泣きわめいていました。

母は私がそのうち
英語を好きになることを
期待していたのだと思います。

その夢叶わず(笑)

毎回嫌がる娘。
英語が聞こえるとすぐ泣く。

そのうち
母は一旦あきらめました。

*本当に一時的にあきらめただけです。

母ががっかりしていた様子は
なんとなく覚えています。

でも、私の母は頑張り屋さん!

彼女はまだまだ私に英語を
学ばせようと頑張ります。

お金を使えば使うほど英語嫌いに

私の母の挑戦は続きます。

なんの挑戦かというと、
私に英語を習わせようとする挑戦!

小学校に入学してから、
何度も英会話スクールを
探してきては、

「マイコ、来週から
英語を習いに行きなさい♪」

と優しく言うのです。

大手英会話スクールだった時もあれば、
地域のカルチャーセンターや
小さな教室だったこともあります。

共通点は1つ。

いつもネイティブ講師。

私はこれが、
この世の終わりというぐらい
嫌で嫌で仕方がありませんでした。

How are you?
What’s your name?

こんなシンプルなことすら
わからない状態だったので、

本当に苦しい時間でした。

「英語が話せない+人見知り」な私。

教室に行っても
ひと言も発しないことが
たびたびありました。

賢そうな同年代の子ども達は
英語で返答していて、

私からしたら、
英語もベトナム語も宇宙語も
全部一緒。

ぜんぜんわからなーい!

英語への興味はゼロ。

わけのわからない言葉で
話しかけてくるネイティブ講師を
怖い人だと思っていました。

そして、教室から帰ってきて、

「行きたくない」

といつも泣いていました。

あまりにも私が嫌がるので、
母は教室が合わないのだと思い、
やめては、また他の教室に入会。

あちこちのスクールに
入会金を納める活動を
繰り返していました。

世の中にお金を循環させる活動ですね(笑)

いったい総額いくら使ったの?

母が生きていたら聞きたい
質問の1つです。

中学入学前に英語嫌いに

小学校6年生の卒業時に

What’s your name?
I’m Maiko.

こんな会話すら
出来ないレベル。

そして、
私には英語は無理。

という強い思いが芽生えていました。
上達するわけがないですね。

母が私に

「英語が話せるようになってほしい」

という願いは
小6までの段階では叶わず、、、

代わりに、
中学校で本格的に英語を
習い始める前に

「英語大嫌い」

という、強い感情を
得たのでした。

母の期待に応えたくて、
頑張って行ってはみるけど
頑張り続けられなかった。

英語は好きではありませんでしたが
1つ興味を持ったこともありました。

大人になってからの私の人生に
大きく関わること。

小学生の頃
「スチュワーデス物語」という
ドラマに夢中になり

密かに客室乗務員への憧れを
抱いていました。

卒業アルバムには
将来の夢「スチュワーデス」

今で言うCAと書いていました。

父の出身が北海道なので
小さい頃から飛行機に
よく乗っていて

空港や飛行機が好きだったというのも
CAに憧れた理由の1つです。

その11年後、
23歳でその夢が叶うなんて
その時は想像もしていなかったはず。

しかも英語嫌いなのに
アメリカでその夢を叶えることになるなんて。

さてさて、
中学校に入ってからも

私の母はもうちょっと頑張ります(笑)

また続きは別の記事に書きますね。

Maiko

シェアいただけると嬉しいです!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次